☆GOD BREATHの皆さんへのインタビュー
2003年9月7日
GodBreathのメンバーが、足寄高校にてライブを行いました。
その日の夕方、FM・WINGに出演された際、お時間を頂きまして、広報・後藤が僭越ながらもお会いしてインタビューさせていただく事が出来ました。
広報・後藤(以下「よ」)>今回は拓さんの紹介でインタビューさせていただく事が出来たのですが、拓さんとは広島で?
GodBreath(以下GB)>広島の千羽鶴奉納の際にお会いして、少しお話をしたんですけれど、その時に北海道に行くよ!という話をしました。
よ>お話する機会を作っていただきありがとうございます。ところで、バンドを結成されてどのくらいなんですか?
GB>知り合って5年。一緒にバンドを組んで4年目ですね。
よ>今回は、どういったきっかけで十勝にいらっしゃったのですか?
GB>2001年・2002年と連続で、日テレ系列のドキュメント番組で活動を取り上げてもらったんですが、その番組を見た足寄高校の先生からお電話を頂いたことがきっかけで「ぜひ北海道に行きたい」という事も合って足寄高校でのライブが実現しました。
よ>今日のライブ自体はどうでしたか?
GB>すごく良かったです。ノリノリでしたよ(笑)
最初のうちは、先生も生徒の皆さんもびしっとしていて。先生方は生徒達が真面目で大人しいのを気にしていたようですが、僕らもライブを始める前にきちっとお話してからライブを始めたので、徐々に盛り上がっていくという感じのライブなんですけれども、凄く盛り上がりましたよ。
150人くらいの生徒達が最初のうちは椅子に座っていたんですけれど、どんどん盛り上がって、「INORI」の時は「ラララ♪」と合唱する時はみんなでスタンディングで一緒に歌って、先生達も「生徒たちがこんなに元気なんだ」とびっくりしていました。とてもいい雰囲気でライブが出来ました。
よ>何か、ライブの際トークはされたんですか?
GB>そうですね。「INORI」という曲の時はお話させて頂いてから演奏させていただきました。語り継がなくてはいけない戦争というものを知ってもらう機会になればと思っているという話をしました。
よ>GBのメンバーは禎子さんの話というのはもともと知って・・・?
GB>バンドを結成してからはじめて、祐滋(Vo)に聞いたので、知りませんでした。驚きましたよ。甥っ子と聞いて。それまでは、バンドとしてはごく日常の歌をそれぞれ歌っていたのですが、その当時、歌で何を伝えられるかを悩んでいた時期だったことも重なって、4人の中で歌によって何かを伝えていくという目的が生まれていったんです。
よ>私は聞いた時に、とてもメッセージ的な要素が強いなと思ったのですが。
GB>歌で何かを伝えるというところから4人で意気投合した事で「SADAKO」という曲が生まれたんです。「INORI」という曲は、禎子の思いを詩にしてつづったものなのですが、もともとこの曲は25年前に日本人留学生が禎子の事を伝えて、それがモンゴルで歌われていた曲なんです。モンゴルでは今でも歌い伝えられているんですよ。
被爆した禎子一人への思いから生まれたのではなくて、伝えていくことの大事さ、ただ戦争反対とかではなくて、戦争を平和の意味を考えてもらう機会になればというのが強いので、なるべく多くの人に聞いてもらいたいですね。その事によって平和を伝えていきたいという思いが伝わったのなら、うれしいです。
よ>平和を伝えていくというのは、戦争だけではなくて・・・
GB>そうですね、戦争だけではなくて、現代社会の中にある、例えばいじめや凶悪犯罪そういった事ばかりがニュースになっている中で「やさしい気持ちを持つという事が大事なんだよ」と言う事を子供達に知ってほしいということで、学校ライブ等を通じて「みんなで楽しめる時間・空間や、勇気とか元気になれるのも平和の一部なんだよ」という「心の平和」を伝えて行きたいと思ってます。
よ>これからの活動について教えてください。
GB>今までは福岡・広島・奈良・東京といった西日本が活動場所としては多かったのですが、北海道まではなかなか今までは来られませんでした。僕らは草の根運動のような形で、少しずつ出会いを大切に和を広げて行こうと思っています。みなさんよろしくお願いします。
<禎子さんについて>
佐々木禎子さん>2歳で被爆し、12歳で白血病でなくなられる。病床で「鶴を千羽折ったら病気がよくなる」と信じて鶴を折り続けましたが、思いかなわず亡くなられる。原爆の子の像のモデルとなった方。
詳しくは、あとがきの中で紹介している、GodBreathのホームページ内「禎子ストーリー」の中に掲載されてます。
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