合唱団員の中で、モーツアルト「レクエイム」を歌ったことのある方の「モツレク経験談」です


 原田麻美さん(ソプラノ)   
 
 ソプラノの原田麻美と申します。よろしくお願いします。
 突然「モツレク散歩道」原稿のお願いの手紙が来て、どうしようと思っているうちに締切が過ぎているのも忘れていて、大変ご迷惑をおかけしました。・・・と申しますのも、「経験者は語る」コーナーで、経験談を書いてほしいとのことなのですが、なんせ、20年も前のことですし、20年近く合唱をしていないものですから、すっかり忘れてしまっているのです。
 
  私が埼玉県で養護教諭をしている際に、同じ職場にいた先生が、明治学院大学合唱部のOBで、学習院大学のOBと一緒に「モツレクをするので一緒に行こう」と誘われたのが歌うきかっけでした。練習はというと、学習院大学内で行うとういことで、「えっ、学習院って皇族の方がいらっしゃる大学で私達のような一般人が敷地内に入っていいの?」まじめに考えていた私で、合唱よりも、学習院大学の中の様子ばかり気になっていました。練習は何回くらいい行ったかもよく覚えていませんが、久しぶりに合唱のハーモニーに魅せられ、楽しみに通っていたことは覚えています。
 
  数年ぶりに歌ってみて、声は出ない、いい加減な発音、リズムを忘れていたなどなど、とても一度歌ったとは思えない私です。清水から通っているため、冬はなかなか通えないことが多かったのですが、これからは、なるべく多く練習に参加できるのではないかと思っています。
 今後とも、どうぞよろしくお願いします。





 今野真澄さん(アルト)   
 
 私が初めてモーツアルトのレクイエムを歌ったのは、大学3年生の時。もう5年も前の話です。
 当時を振り返って思い出すことは、迫力あるオーケストラに負けないよう一生懸命歌ったことです。オーケストラと合わせるのはもちろん、生で演奏を聴くのも初めてだったため、リハーサルのときに「生の音ってこんなに迫力あるんだ!」と驚いたことを覚えています。また、「こんな迫力ある音と自分の歌を合わせることができるなんて、幸せなことだ」とも感じました。
 歌を歌う時、私は「自分が楽しむこと」を大切にしたいと考えています。大学を卒業し就職していからは、しばらく合唱と縁のない生活をしていましたが、十勝毎日新聞で「団員募集」の記事を見て、もう一度歌ってみたいと思い、この合唱団に参加しました。久しぶりに歌うことの楽しさを感じながら、モツレクを歌えればいいなと思っています。





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 小平明子さん(ソプラノパートリーダー)  

 4月からソプラノパートリーダーをさせていただいています小平明子です。モツレクの練習が始まって約半年。そして本番までもあと半年です。それまでの半年間以上に早く感じる半年間になりそうですが最高の本番に出来るようみなさんと力を合わせて頑張っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
 
 さて私を含めみなさんが楽しみにしているこの「モツレクさんぽみち」に初めて寄稿させていただくということで自己紹介かたがた私の「モツレク体験談」でも書かせていただこうと思います。

 私が初めてモツレクを歌ったのは大学3年生のとき「オラトリオ」という授業ででした。その大学ではどの学年も合唱の授業でヘンデルの「メサイア」を勉強し2年生からは毎年12月にあるコンサートのオーディションを受けます。それがきっかけで宗教音楽に興味を持ったことが「オラトリオ」を覆修することにつながりました。授業では3・5・11番の重唱を1年間かけて歌っていきました。テノールの覆修者がいなかったためテノールは先生が歌ってくれました。それまでオペラの授業で重唱は経験していましたが長時間かけて学生も先生も色々な音楽性を持ち寄って一つの作品に向かい自分と他の3人の歌声に耳と心を集中させたあの1年間は私が重唱の楽しさを初めて知ったときでした。そんな思い出の1曲をまた歌える機会を得たことは私にとってとても幸せなことです。

 モツレクを歌えることの他にこのアマデウス合唱団に入らなければ出会うことのなかったたくさんの方々とつながっていられる喜びをかみしめながら今週も車を鹿追から帯広へと走らせるのでした。




 一戸 美斎子さん (ソプラノ)  
 
 経験者のコメントと言うことで原稿の依頼を受けました、ソプラノパートの一戸です。
モーツァルトのレクイエムにまつわる思い出をいくつか書き並べてみるとしましょう。
 
 前にこの曲を歌ったのは1991年のこと。そう、没後200年の年であります。記念すべき年ということで、うちの大学のその年の定期演奏会の演目になっていました。折しも私はそのとき4年生だったのでソロを受け持つという大変おいしい思いもいたしました。そのとき一緒にテナーを歌ったのが前回の市民オペラ「カルメン」でソリストの一人だった三由君であります。貴重な思い出である・・・が、しかし、そのとき私はアルトパートにいた・・・その学年に声楽専攻の者が女声では2人しかいなくて、もう一人は最初から文句なく上手かったのだった・・・。そして私はアルトになるべくがんばったのでありました。音域は低いと言っても、高い声を出す方が苦労しない人間が声に合わないものを歌うんだから当然うまくいくはずがありません。「夜の女王」を歌う人間が2オクターブ近くも下の音域で行ったり来たりしてたのだから、今となっては笑い話ですが、とんでもない話であります。その先生の見立てのおかげで私は当時も苦労を強いられましたが、卒業後も自分の声を発見するまでに数年間遠回りをしなければならなかったのでした・・・。これは今でも根に持っている・・・まぁ、それは置いといて・・・

 この曲にまつわるもう一つの思い出は、その年のPMFであります。PMFのプログラムの一つとしてやはり「レクイエム」が演奏されるということで、同じ学年の友人達と車2台に分乗して札幌へ向いました。札幌は汽車で行くところ・・・と思っていた当時、免許取り立ての友人の車で4時間以上のドライブというのは、なかなかの冒険でありました。そのときのソリストが今は亡きアーリーン・オジェーと引退したクリスタ・ルートヴィッヒ。(テナーとバリトンは記憶にないからさほど有名な人ではなかっただろう。)今にして思えば・・・でありますが、どちらも生きているうちに聴けてよかった・・・特にオジェーのドイツリートは大好きだったし、まだまだ現役でいられる年齢での訃報だっただけに、そのニュースを聞いた時はあのとき行っておいてよかった!と心底思ったものでした。
 
 そしてもう一つはこの曲に対する解釈が180度変わったとも言える演奏との出会いであります。やはり、1991年大学4年のその一年は、スペシャルイヤーということで、テレビやFMの放送でもモーツァルトが取り上げられていたことは多かったと思いますがが、自分の中でも、ソロを歌うということもあって、何事も勉強・・・とひたすらモーツァルトを聴いた一年でした。偶然FMのクラシックの番組でチェックしたレクイエムがすばらしく個性的な演奏だったのでありました。私がCDで持っているのはイシュトバン・ケルテスという人の指揮のもので、いくつかの盤を聴き比べてみたけれど、テンポが比較的速めなのです。コンフターティスやドミネ・イエズなどテンポの速い曲は心地よいスピード感があってスリリングな演奏で気に入っていた盤です。しかし、そのとき聴いた演奏はそれをさらに上回るテンポだったのです。というより、実際の速さそのものよりもその軽やかさに驚かされたと言った方が適切でしょう。説明によると使われている楽器は18世紀から19世紀の物、ピッチもモーツァルトの生きていいたころのオーケストラのピッチに設定しているという・・・音色自体が非常に柔らかくて優しい感じです。合唱団の発声も、現在主流になっているベルカント唱法の影響を受ける以前のビブラートの少ない発声で、空間のすごく高いところで自然に響いている感じの軽さがあるのです。(こんな説明でわかってもらえるかな・・・・?)キリエのフーガなど、まさに宙を滑るようになめらかで軽い16分音符の動き・・・!死に対する畏れや嘆きよりも諦念や悟りに近く、悲しみが疾走していく感じなのです。慟哭ではなく、伏し目がちで涙が一筋だけ流れる・・・そんなイメージだったのです。それに慣れると他の演奏がどれも重たくテンポさえ遅く感じられてしまうから不思議です。それ以来私はどうもテンポの遅いレクイエムが苦手です・・・・どこの演奏だったかご紹介したかったのですが、なにぶん引っ越しの後だったので、カセットテープまではまだ整理しきれてなくて、探しきれませんでした。本番までには探しておきたいと思います。

 モーツアルトの音楽は余計なことをしすぎると美しくないし、何もしないとそれこそエチュードように味気なくなってしまう・・・さりげなさの中にいろんな表情を見え隠れさせるその辺のさじ加減をどうするか・・・というところにおもしろさがあるような気がします。さて、今回のアマデウス合唱団のレクイエム、作間先生のさじ加減はいかに・・・?12月の本番がたのしみなことです。





 真下陽子さん(ソプラノ)  

 みなさんこんにちは。ソプラノの「ましも」といいます。群馬県出身です。
帯広に来るまでは群馬交響楽団合唱団に所属していました。モツレクを歌ったのは、結成1年目で、アフィニス財団から助成を受けてのものでした。事務局は、楽団員の方がしてくれましたので、こちらの会のみなさまの熱意にはすごく感動しています。みなさんとても練習熱心で、また上手だなと思いました。

 体験談ですが、このとき私は合唱のことを何も知らなかったので、毎日驚きの連続でした。また充実した楽しい日でもありました。平成元年3月末日に結団式を行い、9月の群響定演での発表でした。練習は水曜の7時から9時で中央公民館で行いました。5月の連休には特別練習1日というのもあって、8月には合宿もありました。13〜74歳位の幅広い年齢の方がいて、女声が多く、総勢350人でした。第1回の練習日には、音取りとかなくて、いきなり歌詞唱でスタートしたことに面食らいました。あわててパート練習テープを買いました。次に、ただ音が合っていればいいだけでなく、音には色があって、いろいろな表情をつけるものだということがわかりました。指揮者の先生が、考えた通りに歌えなくて、大変な場面もありました。家で練習していると、「お化けの歌はやめろ」と言われました。毎週練習しているうちに、いつの間にか暗譜し、指揮者の表情を見ながら歌えるようになりました。
  さて、本番も近づき、音楽センターに山台を組んで乗る練習をしました。350人いるので出入りに5分ほどかかります。5分を切るべく当日も練習をしました。最後の問題は、2時間近く同じ場所に立っていられるかということでした。練習のときはすぐ疲れていましたが、本番はあっという間でした。

 作間先生のモツレクは、またぜんぜん違うので一生懸命見て歌いたいと思います。皆さん忙しい中でも体に気をつけて頑張りましょう。