第3号より (2000年2月15日発行)
蝶野千秋さん(ベース) 「鬼!? いや天女様です」 ある練習の日、優しい作間先生が恐ろしく見えました。先生と視線が合うのを避けようと、持っている譜面をいつもより高く上げました。苦手な授業中に当てられないように、教科書で先生の視線を遮るあの行為です。何故って、すべて自分が悪いのです。用があって2週間連続で休んでしまい、予習もしないでそのまま練習に行ったものですから、無力な私が初見で歌えるわけがありません。 「ベースさんしっかりして!!」と先生の叱咤の声も飛んできました。後ろの仲間の声を頼りにしようと考えて、いつもの最前列に席をとっているものですから、このような時は、身の隠しようもないのです。 身の縮む思いをしました。この日々のことを深く反省しまして、以降はしっかりと予習をしていくことにしています。充分予習をしていいった時は、作間先生は、私を心地よい世界に導いてくださる天女様に見えてくるんです。 天女様!! 12月までどうぞよろしくお願いします。 |
第12号より(2000年6月13日発行)
桑原昌−さん(テナー) 私がモツレクを歌ったのは、もう10年前のことで、当時札幌の「いずみ混声合唱団」に所属していた。 |
佐藤アイさん(ソプラノ) 「恐怖の(?)「お仕置き部屋行き」 我が夫佐藤哲雄は、「狂」がつくクラッシックファン。特にバッハとモーツアルトの。常々、一生のうちで一度でいいからバッハの「マタイ受難曲」やモーツアルトの「レクイエム」を歌えたらいいのになと、うわごとのように言っておりました。 数年前、芽室町で「やまなみ合唱団」の25周年記念コンサートを聴きましたが、その折、プログラムの最後に「プッチーニのミサ曲」が演奏されました。その歌声に聴き惚れながら、もしかして、この指揮者の方(作間先生のこと)はこの方面(宗教音楽)に精通した方なのではないかと思ったのです。 そこに、この「レクイエム」の話です。夫は飛びつきました。私は最初から彼を運ぶ「美人運転手」に徹しようと思ったのですが、「運び屋だけではつまらない。末席でもいいから歌っちゃえ」という訳で私も参加したのです。 往きの1時間半は、テープを掛けっぱなしの練習時間。毎日時間に追われて十分に練習できない(やろうとしない?)私にとっては貴重な練習時間です。 帰りは夫婦で反省会。初めの頃、作間先生の歌うような「入り」の合図「はい、どうぞ!」の響きがなんとも面白く、我が家で流行しました。最近は「今日、私、お仕置き部屋よ」。小グループ練習が始まったとき、どうやるんだろう、一人で歌わされたらどうしようと心配したものです。「あごを引いて」「しゃくるんじゃない!」「気持ちの悪い歌い方をするな!」と、指示の言葉が恐いことは恐いですが、なんとも小気味よく、最近では先生の内面的な味わいに感じられて、「お仕置き部屋行き」もまた楽しませていただいております。 このあとは、一心に練習あるのみです。こんな私ですが、みなさんどうぞよろしくお願い致します。 |
佐藤哲雄さん(ベース) 「私は控えめなのですが・・・」 「さんぽみち」第11号を開いて驚きました。私たちのことが出ていたからです。しかも「最遠距離参加者」という有り難い称号付きで。私はもともといたって控えめな性格で、アピール度の低い人間なのですが、何の巡り合わせか、近頃しっかりと目立ってしまいます。 下の写真は元旦の「十勝毎日新聞」の「モツレク特集」に載ったもので、このときも「広尾から夫婦で参加している」ということで取り上げられたらしいのです。(思い返してみると、5年前の「清水の第九」のときも、同じ理由で「勝毎」に載ってしまいました。その後、「新聞でみたよ」とか「おまえに似合わない、大それたことをやっているね」とか喧しこと喧しいこと。でも、おかげで私としては「退路」を断たれ、これだけ知られたからには恥ずかしいことはできない、腰を据えてしっかり取り組まねばという思いになりました。その結果、自分でも意外だったのですが、この3月いっぱいで暗譜(怪しいところは数々ありますが)ができてしまったのです。 現在は、お手本のカール・リヒター盤のレコードに合わせて、「コンフターティス」「クムサンクティス」などの難所を息切れずに歌うには、どのように息を継ぐかを課題に練習しています。もう一つ、これは難しいことですが、リーダーの植地さんがよくおしゃっているように「私頑張って歌っています、ではモーツアルトにはならない」と思いますので、どんな難所でもさりげなく軽やかに、しかし深く歌えるように「精進」を重ねたいと思います。 それにしても、今さらながら、この「レクイエム」はすごい曲ですね。歌えば歌うほど、その「すごさ」が身に迫ってきます。モーツアルト自身の筆になる部分はいうまでもありませんが、これまで、弟子の手による補作で「格が落ちる」ときかされていた後半も、どうしてどうして、「ドミネイェズ」にしろ「オスティアス」にしろ歌い映えする感動的な名曲です。それを発見できたことが、この合唱団に加わって活動できた大きな収穫の一つです。 |