第11号より (2000年6月6日発行)
村上忠男さん(ベース) うたごえに魅せられて 大学時代に合唱団に加盟して以来30数年間、常に合唱と係わる人生を歩んできました。現在は、帯広青年合唱団の団長をしております。 私たちの合唱団は戦後、関鑑子先生を中心に始められた、自由と平和を目指す合唱団として、日本全国に仲間を持つ合唱団です。一昨年は幕別百年記念ホールで北海道歌声祭典を実施、全道からのうたごえの仲間を迎え、帯広合唱連盟の協力も得て、素晴らしい祭典をおこなうことができました。また昨年は日本のうたごえ祭典を札幌で開催、全国から1万人を越える仲間が集い、音楽ホールkitaraを中心会場に3日間に渡って行われ、帯広から百人を越える人々が参加し、ステージ、客席で祭典を楽しんできました。特に石山緑地公園で行われた星ふる夜のコンサートでは夜の公園に3千人を越える人が集まり、全国の仲間と共に歌ったステージは心に残る感動を与えてくれました。 ステージ演奏では、北海道合唱団と共にロシアヤクーチャ共和国、ハバロフスク共和国での合唱公演、帯広では文化ホール、幕別百年ホールこけら落とし、第九コンサート、カルメン等の演奏会に参加する機会を得ることができ、その都度新しい感動と素晴らしい合唱仲間とにめぐり会うことができあました。モーツアルトのレクイエムは男声合唱団コールブリューデルの演奏会の打ち上げの席で、濱田さん、植地さん等とモツレクができたらいいのにねと、気楽に話していたのが現実になり、素敵な曲、素敵な人々とめぐり会うことが出来ました。 これからが正念場、12月の本番に向けて本気になって取り組まねばと思っております。演奏会の打ち上げで感動の美酒と満足感が得られるように、共に頑張りましょう。 |
第9号より (2000年5月16日発行)
山田 敏智さん(テノール) 「バルト三国ラトビア音楽祭」 今度、テノールのペートリーダーをやることになりました、帯広青年合唱団の山田敏智です。かなり力不足ですが、自分のできる精一杯のことをやろうと思いますので、よろしくお願いします。 挨拶を兼ねて、「モツレクさんぽみち」に何か書くようにいということですので、私の今までの合唱経験の中で最も感動的だった、バルト三国ラトビアのリガ音楽祭に参加したときの体験を書きたいと思います。 バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)は、北欧スウエーデンとフィンランドの近くにある小さな国です。長くスウエーデンやロシアの支配下にあり、第一次世界大戦後やっと独立したもの、ナチスドイツに占領され、戦後は旧ソ連に併合され、1992年にやっと民族の悲願であった独立を達成したという、苦難に満ちた歴史を持つ国です。他民族の支配下でラトビア民族のアイデンティティーを保つ支えとなったのが、ラトビア語であり、民族の歌・合唱であったとのことで、国民の3人に1人は合唱団に所属しているという、たいへん合唱の盛んな国です。 1993年の6月末、白夜の青い空の下で、4年に1度の「リガ音楽祭」が開催されました。ラトビア全土から集まった合唱団は約2万人(!)。森林公園の中にある半円形の野外ステージに整列しています。観客は8〜10万人(!)。歌われる曲は1年以上前から各合唱団で練習を行い、指揮者が巡回してい指導してきたと聞きました。ほどんどの曲は伴奏なしでアカペラで、指揮者がマイクで各パートの音を1回出すだけで、2万人の大合唱がひとつの響きで出てきます。我々は、ラストの2曲をラトビア語で憶えて参加したのですが、「ホッカイドウコーラス、ヤパーナー!」のアナウンスに続いて誘導された場所は、2万人の大コーラスの最前列。目の前に指揮者がいてテレビカメラが移動しながら前を通り過ぎていく・・・歌い始めると、2万人の大コーラスが頭上から音のシャワーとなって降り注ぐ・・・感動で涙が出て、何をどう歌ったのか覚えていないほどでした。 願わくば、もう一度あの白夜の大合唱に参加したいと、今も思い続けています。 |
第8号より
工藤 泉さん(練習ピアニスト) 「ありがとう」 |
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稲見亜希さん(アルトパートリーダー) 「モツレクと出会って」 |
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